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肥後古流 (茶道) : ウィキペディア日本語版
肥後古流 (茶道)[ひごこりゅう]
肥後古流(ひごこりゅう)は、熊本藩で伝承された茶道の流派の一つ。千利休の流儀をそのまま伝えていると称される。古市・小堀・萱野の三家で伝承したことからそれぞれ古市流(ふるいちりゅう)・小堀流(こぼりりゅう)・萱野流(かやのりゅう)とも呼ぶ。
==歴史==
細川三斎(細川忠興)は利休七哲に数えられるほどの達人であるが、豊前小倉忠利に家督を譲ると、忠利は寛永2年(1625年)に円乗坊宗圓の婿である古市宗庵を細川家の茶道役として召し抱えている。三斎も忠利も、古市宗庵に利休から変えることのない「古風の茶の湯」を伝えることを命じている。これが肥後古流の祖である。
円乗坊宗円(圓乗坊宗圓)は元は本能寺の僧であったが還俗して利休の四女の婿となり、利休から極真台子および盆点法を伝えられた唯一の人であると伝えられている。それによれば、利休の実子である道安はあまりにも器用で、独自の創意が多いため伝授されないまま利休が没してしまい、一方で養子の少庵は不器用であったため伝授されなかったという。宗圓には道鉄という子があったが、医業に秀でてこれに専念したため、婿の古市宗庵が一切を相伝されたと伝えられている。古市宗庵は後に京都に出て利休の孫同士として千宗旦に伝授した。その際の礼状があったが、昭和28年の大水害で失われた。熊本に伝わる宗旦作の茶杓や竹花入などが、その傍証となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「肥後古流 (茶道)」の詳細全文を読む



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